Text, Photo: 加藤太一(Rano)
2024年11月なかば。月末に刊行を控えたZINE「空想と地図」第4号。巻頭では、うねおかさんが2000年代から今にかけての架空都市・空想地図界隈の概観を客観的に示してくれている。わたし自身、物心ついた頃から架空の地図を描き始め、かれこれ14年そこらはネットで「空想地図作家」の端くれとして活動をしてもいる一人として、これまでの活動を思い出してみたり、そのモチベーションに改めて考える機会になった。
振り返ると、細かくは覚えていないが、昔から道路や電車や地図が好きな子供であった記憶がある。流れる景色、看板や標識に書かれた地名、紙の地図の広がりから、自分の知らない世界に想いを馳せていた。車の窓から景色や標識を見ているのが好きで、親の運転する車に乗って出かけるのが好きだった。一度、どうしても知らない道に行ってみたくて、助手席からでたらめな道案内をして、あとで怒られたのを覚えている。

外では風景に目を遣る一方、家では紙や地図から想像を膨らませた。きょうだいがおらず、人見知り気味だったこともあり、一人で時間を潰すことに慣れていた。気づけば地図を眺めていた時間が多かった。幼少期、誕生日に欲しいものを聞かれ、地図をねだったことも一度ではない、という話を親から聞かされたこともある。(自分では覚えていない)
また、地図がなくとも、紙とペンさえあればこれまた永遠に遊んでいられる子供で、裏紙やコピー用紙に思い思いの落書きを広げて遊んでもいた。そこに描かれていたのは、そのころ出かけた場所の地図やそこで見た地名だった。身近な興味として、地名や地図を見るに留まらず、自分でそれを表現したいという欲求だったのだろう。
先日、久々に実家に帰省した際、自分が5歳か6歳ぐらいのころの落書きが家から発掘された。そこには、電車の路線図や道路が描き殴られた地図のようなものがあった。どこか外出先や地図で見かけた地名を模写したりしたようで、就学前の子供ながら、地名だけはいっちょまえに漢字で記載されている。多奈崎市のような架空のそれではないが、確かにこれはわたしの作る空想地図の「原型」ともいえる紙片だった。
これらはわたしの幼少期の原体験であるが、今に至るまで空想地図を描いているモチベーションの一つであることは間違いない。そして、このように自分の体験や記憶を再構築してアウトプットするということに、空想地図を作る楽しみというのを見出している作者は、わたし以外にも多いのではないだろうか。小説や絵画、漫画や音楽などでも良いのだが、心に残る作品に出会った際に、自分でも何か作りたくなるという体験を聞くことがあるが、外出先で特徴的な街並みや風景を見かけると、自身の空想地図にもそれを反映させたくなる、そういう心当たりのある地図作者も少なくないだろう。
そこで、表現手段としての「地図」に思いを巡らせてみる。空想地図という趣味が少しずつ認知をされ始め、小説や絵画のように地図も芸術の一つであると主張する作者もいるが、しかし地図が表現手段であるという認識は、依然として一般的なそれではないだろう。「架空の地図を描いている」ということだけで、メディアに取り上げられる、ということが依然としてあるという事実がその証左に思われる。小説家をして「架空の物語を綴っている」とわざわざ紹介されることはない。

ところで、あらゆる表現は、メディアを通じて行われる。小説は文章、作曲は音楽、絵画は絵画そのものがメディアである。小説は音楽で表現されないし、絵画は文章では表せない(表せたとしてそれは元のものとは別物である)。これを踏まえると、空想地図という表現においては、地図こそがメディアにあたる。
学者のマーシャル・マクルーハンは、「メディアはメッセージである」と言ったが、地図というメディアの持つ特性に目を向けると、極めて実用性に特化した媒体であるということが特徴的に思われる。メディアとして考えた際に、文章が虚実のどちらも表現しうるニュートラルなものであるのと比較すると、地図はそれ自体が実用性を前提とされたメディアであり、フィクションや創作のような非実用的な側面を持ち合わせていないという「メッセージ」を暗に含んでいるようである。空想地図が、地図「なのに」実在しない(けど、どこかにありそう)という、メディアに対する中身のギャップに焦点を当てた捉え方をされがちなのは、地図というメディアが、本来はうそや創作の入り込む余地がなく、実際のものごとのみを表すものであるというメディアにも拘らず、そこに描かれた土地が実在しないという「違和感」それ自体が面白さになっているのだろう。
「ありそうだけどない」あるいは「ないけどありそう」なもの、もう少し広く捉えるなら「本物の真似ごと」に感じる面白さというのは、空想地図以外にもさまざま心当たりがある。この頃「奇奇怪怪」というPodcastを聴いているのだが、ここの投稿コーナーで「架空引用王」というのが行われた回がある。「〜王」というのはこの番組で行われている、Spotify のコメント機能を用いたいわば大喜利なのだが、「架空引用王」では、実在しないが、あたかもどこからか引っ張ってきた「引用」のような文章を募集する、というものであった。コメントでは、確かに何かの「引用」っぽさを感じる文章の断片がさまざま寄せられており、普通の引用と思っていれば軽く流していたであろうが、それが架空であるとわかるとなぜか面白さを覚えてしまうという、不思議な体験だった。文体模写でいえば、「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」という書籍が数年前に発売され、話題になったのも記憶に新しい。
何か「本物」を「再現」するとなるとき、その対象をそれらしく感じる要素を抽出し、再構成するというプロセスが生まれるが、ここまで挙げたようなモノマネや「あるあるネタ」の類に覚える面白さは、普段何気なく見ている「本物」の、わざわざ言語化してこなかったが確かに感じているその要素「らしさ」を、うまく輪郭づけて抽出してくれた!というような気持ちよさにあるのだろう。受け手の中に眠るさまざまな経験や体験に対して、うまくそれらを連想させ引っ張り出させる投げかけに対して、人は面白さや気持ちよさを感じるのだと思う。ただ、何かの模倣やそれを想起させる表現においては、まず対象に対するリスペクトが前提にあるべきで、この手の表現は扱いを気をつけないと、ミンストレルショー的な方向へ転じてしまうことにもなりかねない。作者としてもそのあたりは責任を持って考えたい部分だと感じている。
翻って、空想地図はというと、街や世界という(かなりスケールを広げた)対象に対する「再現」行為である。そこで、空想地図、あるいは架空都市に感じるリアルは何か、ということに思いが巡る。
はじめに断っておくと、必ずしも現実の世界に即したリアルな作品だけが良い空想地図であるとは思っていないのだが、わたし自身の志向として、実際日本のどこかにありそうな、どこかで見たような(即ち「リアル」な)都市として多奈崎市を作ってきている。それはやはり、現実に近しい、けどどこにも存在しないという、「虚実の皮膜」めいたものに対する、またそれを作り出すことへの面白さに魅力を感じているからだろう。

リアルとはなんぞや、というのを考えながら、多奈崎市を制作する上で何を心がけているのか。ほかの多くの空想地図作者がそうであるように、街の形態(即ち、地形のすがたや、歴史に照らした街のでき方)がリアルであるかどうかはもちろん意識の中にあるが、それと同じくらい、地図そのもののリアリティ、つまり「メディア」としての地図の出来栄えにも同じくらいの意識を向けている。マクルーハン的に言えば、舞台となる架空の土地の中身というよりむしろ、それを表現する「地図」を「メッセージ」と捉えていると言えるのかもしれない。地図自体の様式が本物の地図らしくあることで、読み手がある意味でそれを本物の「地図」として、そしてうっかりすると、そこに描かれた多奈崎市を本物の都市として受け入れやすくするという狙いは、確かに意識している。
ところで、今年の3月、多奈崎市の空想地図を(そしてこの〈空想と地図〉も)取り扱っていただいている代々木上原の書店・CITY LIGHT BOOK にて、トークイベントに出て喋る機会があった。そもそもお店と関わる最初のきっかけは、わたしがたまたまふらっと入ってたまたま話をしてたまたま地図を見せて、という流れだったのだが、店主の神永さんを筆頭に、たいそう多奈崎市を気に入ってもらい、これについて何かイベントしましょう!という流れになって決まったのだが、その準備をすすめる段階で、次第に多奈崎市について詳しい人がわたし以外にも出始め、この街が生きた「街」になっていく心地になったのは面白い体験だった。イベントでは多奈崎市の「郷土料理」である「まいたけ漬け」が振る舞われるなどもあり、地図に限らない様々なメディア(ここでは料理も「メディア」の一つだろう)を通じて、存在しないけどありそうな街、から、存在しないけどあるような気がしてくる、に一歩進んだ表現ができたような気もし、一つ手応えがあった。
空想地図を知る人の数は、少なくともわたしの感覚では、この数年の間に確実に広がっているように思える。2013年の「架空地図学会」の頃はわたしは界隈でダントツの最年少だったのだが、次から次へとわたしより若い作者が登場し、力作を次々と投稿しているのを見ると、さすがに14年という歳月の長さを感じるとともに、作者人口が増えることで、これまで以上に作品のバリエーションや作者のスタンスが広がり、趣味としてより一層成熟するのが待ち遠しい。今後も作者の端くれとして、また空想地図をテーマにしたZINEを作るいち空想地図ウォッチャーとして、空想地図界の動向を見守りつつ、地図で可能な表現であったり、架空の街という題材のポテンシャルを引き出したり、できる範囲でいろいろと手を動かしてみたいと感じている。
※この記事は、ZINE「空想と地図」Vol. 4 に掲載されたコラムの再掲です。

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